高齢者・彦市のブログ

しあわせの思い出

しあわせの思い出-10 妻の心臓手術

昨年の6月3日に、妻が「大動脈弁の取替手術」をしました。人工弁と交換して、手術が成功しました。これには、長い間の苦痛と手術に至るまでの調査検討が行われました。 生死をかけた大手術で、胸骨を切断して直接心臓を開き、人工心臓で血流をバイパスしまし…

しあわせの思い出-9 会社整理の話

「ミドリ防災有限会社」を設立したのが1974年(昭和49年)9月でした。そして、会社整理したのが、1987年(昭和62年)3月ですから、12年6ヶ月の操業でした。 経営不振とか後継者不足などの理由ではなくて、私の業務転換計画に対して、従業員…

しあわせの思い出-8 消防設備士試験

「脱サラ」を目指して退職はしたものの、起業に必要な資格取得が緊急の課題でした。先ずは、基礎技術である「電気制御盤の製作技能」習得のために、電気工事会社に転職しました。ここで、1年間近く勤めました。次いで、「消防設備工事の実務」を習得のために…

しあわせの思い出-7 人事部長の言葉

私は、1部上場企業の本社に23歳から9年間も在籍していたのですが、突然に、勝手な理由で自己都合退職しました。その時に、人事部長から「希望の職場があれば考慮したい」との最後の言葉に、感謝の気持ちで応答出来なかったことが心残りです。それまでの長…

しあわせの思い出-6 沖縄での年末年始休日

私が32歳の時、12月から2月まで2か月半に亘って仕事で沖縄に滞在しました。 沖縄が日本に返還される前年度で、ドル通貨でした。中古の「液体酸素製造プラント」を沖縄の酸素会社へ売却したので、その移設工事立会いと先方社員への教育を担当しました。…

しあわせの思い出-5 社内懸賞論文の話

私が30歳の頃、会社創立60周年を記念して、社内懸賞論文の募集が発表されました。当時は、技術部の若手同僚5名で「朝の勉強会」を行っていました。そこで、懸賞論文を作成することが決まり、手分けして調査したり、討議して3ヶ月で作成できました。 会…

しあわせの思い出-4 電気主任技術者試験の話

私が社会人となり、初めての職場が「酸素製造工場」でした。 新設工場であり「液体酸素の製造プラント」がメインで、50名程の社員でした。 当時は、職員と工員と分けた職工制度があって、工員は現地採用、職員は本社採用でした。 技術職員が10名程で、新入職…

しあわせの思い出-3 新婚時代の給料日

現在は晩婚が多くて、30代まで独身で、仕事と遊びを両立されていますが、昔は、婚期の女性に対して外野がうるさかったです。このため、20代前半で結婚する女性が大半でした。 私は、18歳まで名古屋で暮らし、就職と同時に小倉で独身寮生活が始まりまし…

しあわせの思い出-2 職場慰安旅行の話

私の青年時代は、マイカーが普及する前でしたから、鉄道旅行が一般的でした。高度経済成長で、サラリーマンや職人たちの娯楽の要素は「飲み・打つ・買う」でした。 ですから、私も時流に乗って、給料はすべて使い果たしていました。 独身寮では、毎晩マージ…

しあわせの思い出-1 四つ手網の話

[はじめに] 余命も僅かとなった今、人生を振り返ると、苦労や失敗の多くが思い出されます。「冥途のみやげ」には、苦労話は歓迎されないでしょうから、数少ない「楽しい話」を探してみました。 「楽しい話」と書くと、遊園地や趣味・娯楽に纏わる話を連想し…