高齢者・彦市のブログ

転職について思う

日本の産業社会では、多くの業種で、大企業を頂点として、ピラミット型に多層構造の業務下請け化が形成されています。
従って、下層部に位置する企業では、一般に、仕事分野が狭く、利益も少なくなりがちですから、働く社員の待遇改善は後回しになります。

フル操業での適正な利益確保を前提にして下請け単価が決められていますから、操業率が低下すると人件費で調整する安直経営の企業も見受けられます。

 

昭和の時代までは、年功序列型の賃金体系でしたから、我慢して永年勤続すれば、待遇改善されて退職金も相当額保障されていました。
また、中企業や大企業では、労働組合の活動で、弱者救済もなされていました。
従って、不満はあっても、よほどのことが無い限り「転職」は考えませんでした。

 

企業のグローバル化が進んだ現状では、コスト削減が最重要課題となり、実力主義の労務管理に変わり、非組合員の比率も高まったので、労組の力も弱くなっています。
従って、社員の夢も小さくなり、ゆとりのない労働環境になっています。
そして、年功序列が崩れて、同一企業に長年勤続しても、労働条件の向上や将来保障も望み薄の状況となっています。

そこで、社員の実力主義指向が強まり、転職者が増加する時代となりました。

この結果、労働市場が流動化して、「転職」が一般化しています。
実力をつけた時点で、所属企業から評価されない不満が募ると「転職」を考えます。
これは、当然のことと思います。
しかし、安直に行動を起こすことは危険であり、後悔することになるかもしれません。
熟慮して、更には、信頼できる近親者に相談することをお勧めします。

転職」の際に心すべきは、育ててもらった会社に対する恩義を忘れないことです。
競争相手の同業他社への「転職」はタブーです。
入社後には、経営者からの期待や要求が強く、また、新参者として同僚から厳しく評価されがちです。
自己の知識や技能を活かせる新職場がベターです。
ゼロからの再出発では、労働条件の悪化が心配されますし、技術知識や技能の取得で苦労することになります。

そこで、参考までに、私の体験と見解を以下に記します。

 

私は、昭和33年に大企業に就職して、労組の専従役員を務めたのちに、小企業経営を夢見て、勤続16年で退職しました。
当時は、脱サラブームでもありましたから、「転職」は容易でした。
高度経済成長時代でしたから、現在と同じで「人手不足」でした。

私の「転職」動機は、妹2人の3兄妹でしたから、老親の介護責任を感じていたところ、転勤が近いことを予感したので、「脱サラ人生」を決断したのです。

その2年前に、「社内懸賞論文」に応募する為の資料集めで、日経連の図書館で新規企業分野に関する最新情報を知りました。
その中で、小資本でできる業種の一つが「消防用設備の保守点検業務受託業」でした。
昭和35年に「消防設備士制度」が創設されて「消防用設備の定期点検制度」が発足して間もない頃でした。

当時の私は、「高圧ガスの製造」に関する業務で、「保安管理」の知識しかありませんでした。
そこで、「電気工事業」⇒「消防設備工事業」と2業種の会社を渡り、合わせて2年間の実務体験をしました。
その間に、必要資格も取得しました。

そして、実家のある名古屋で防災設備業「(有)ミドリ防災」を立ち上げました。
その後、13年間頑張り、名古屋駅周辺の大規模施設や国鉄、地下鉄の駅を定期点検したこともあります。
技術者根性を発揮して、全ての消防用設備の点検技能を習得しました。
この裏には、大手メーカーの下請け作業に徹したことで、大規模で複雑な対象物件を保守点検する機会に恵まれました。

 

脱サラする人には、3通りの行動パターンがあると思います。
家業を引き継ぐ
手っ取り早く財産をつくる
理想とする目標に挑戦する

私の場合は、番目に近いのですが、「裸の大将」になってしまい、会社を整理する結果になりました。

 

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