高齢者・彦市のブログ

我が国の国際通信は明治30年代中期から始まった!?

インターネット回線」で、情報が世界中に、しかも、瞬時に伝わる現代では、私たちは、電気・水道と同様に、身近なものとして「国際通信」を意識しています。
しかし、実際には、「国際通信」と「インターネット回線」は別物です。

 

我が国の通信事情の近代史をたどると、興味深い現実がありました。

国際通信」を「国家間にまたがる情報伝達」と位置づけますと、1850年に、ドーバー海峡に海底ケーブルが敷設されて、英仏間で「モールス信号による有線通信」が発端でした。
そして、大陸内の各国で電信路を敷設して、主要な各国に電信路が完備しました。

 

日本では、明治30年代中期になって、デンマークの会社「大北電信会社」が日本海に海底ケーブルを敷設して、この会社を通して「国際通信」が始まりました。
他国を経由する「有線方式」ですから、中継点の国家に情報が漏れること、及び、伝達時間が30~40時間を要する状態であったようです。


下図は、当時の「大北電信会社」を介した日本と世界主要国間の国際通信網です。
出典:「国際通信の日本史」石原藤夫著 東海大学出版会 P12

 

無線電信」が、1896年(明治29年)に、マルコーニによって実用化されました。
ヨーロッパ諸国では、この「無線方式」により、植民地との直接通信を開設しました。

これは、「超長波」を用いた特殊な方式であり、遠隔地まで地表面に沿って電波が届きました。
しかし、送信所の建設には莫大な費用が必要でした。

日本の「無線電信」は、大正中期以降に日米間(郡山から発信)、日朝間(長崎から発信)、日中間(長崎から発信)で実現しました。
昭和4年になって、日欧間(名古屋から発信)の直接通信が実現しました。


昭和5年頃になって、ヨーロッパで「短波通信」が実用化されました。
短波通信」方式では、伝達情報量が多くて、低コストであったので、「超長波」方式に代わって、世界中の標準無線方式となりました。

 

しかし、「短波通信」には通信内容を傍受される欠点があるので、業務用の通信は「暗号化による有線通信」に切り替えられました。
これは、第2次大戦後に「超短波通信」が実用化したからです。
そして、電子回路の小型化と自動交換装置が開発されて、通信時間が大幅に短縮されました。

 

平成になって、「インターネット」が普及しました。
この通信網を支えているのは「サーバー」と称する大型コンピューターが開発されたからです。
世界の主要中継地点に「サーバー」を配して、多量の通信情報を自動制御しています。
世界中のコンピューターが「インターネット回線網」に繋がっています。

 

これと類似した方式で、従量課金計算をする「電信電話局」を介して「国際通信」が実現しています。
この通信媒体は「光ケーブル」です。
暗号化して、デジタル化した通信情報で、1本の光ケーブル(髪の毛ほどの細いガラス電線)に、時分割と位相弁別を併用することで、同時に多くの回線を接続できます。
海底ケーブルには、この「光ケーブル」が複数本束ねてあります。
従って、主要な海底ケーブルでは、同時に大量の通信回線を並行して接続できます。

 

 

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