私の青年時代は、マイカーが普及する前でしたから、鉄道旅行が一般的でした。
高度経済成長で、サラリーマンや職人たちの娯楽の要素は「飲み・打つ・買う」でした。
ですから、私も時流に乗って、給料はすべて使い果たしていました。
独身寮では、毎晩マージャンが行われていました。
夜勤明けの日は、一人休日ですから、パチンコ店へ通いました。
職場の同僚と競輪場へも通いました。
時々は、先輩に誘われて、赤暖簾をくぐって酒をごちそうされました。
また、工場長に誘われて、ビヤホールで緊張したこともありました。
当時は、職場の慰安旅行で親睦を深めていました。
年1回の職場慰安旅行は、下っ端の青年にとっては、軽い負担で楽しめるイベントでした。
役職に応じた格差を付けた積立金で賄われていました。
ある年の長崎旅行では、深夜10時半に門司港駅に集合して、始発の汽車で長崎まで行きました。
秋口でしたが、冷房設備の無い列車ですから、窓を少し開けた状態で、6時間近く仮眠状態でした。
長崎駅で洗面所に入ったら、鼻の周りが煤だらけでした。
宴会が楽しみで、年長者の隠し芸に感嘆したり、酒に強い人を見直したりで、青年にとっては、善い社会勉強でした。
更には、夜の温泉街は新たな経験の場でもありました。
雲仙の夜は怪しい雰囲気の楽しい時間でした。
私の習作です。
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