現在は晩婚が多くて、30代まで独身で、仕事と遊びを両立されていますが、昔は、婚期の女性に対して外野がうるさかったです。
このため、20代前半で結婚する女性が大半でした。
私は、18歳まで名古屋で暮らし、就職と同時に小倉で独身寮生活が始まりました。
工場は男性ばかりですし、独身寮は、社宅を流用して、1軒に4名のすし詰め状態でした。
高度経済成長時代で、プラント工場では、3直4班制で、1か月に1度の定期整備で停止すること以外は連続運転のフル操業でした。
休日は一人で過ごすことが多くて、味気ない毎日でした。
労働組合の代議員として、東京へ出た際に本社を訪ねたら、新設工場の要員候補者に私の名前が入っている様子でした。
当時は、混声合唱団に所属していて、仲間の懇意の女性がいました。
そこで、早々に婚約して、即刻結婚話を進める方策を取りました。
というのは、妻帯者用の社宅へ入居したかったのです。
東京で新婚夫婦が借家住まいとなると、経済的に成り立たない状況でした。
結果は、新設工場ではなくて、本社(東京)の技術部へ転勤となりました。
そして、結婚を早めて妻帯者となっていたので、社宅に入居できたのです。
この時の年齢は私が23歳、妻も23歳でした。
大田区にあった社宅は、戦後に建てられたもので、木造2軒長屋の平屋建てが7棟でした。
この社宅14家族の中で、私たちが最年少でした。
社宅には風呂が無くて、銭湯通いでした。
私たちは、歌にある状況そっくりの生活でした。
給料日が待ち遠しくて、給料日当日には、新橋の烏森口で待ち合わせることが度々でした。
そして、新橋や銀座の珍しい飲食店で食事を楽しみました。
私の習作です。
上記「グループバナー」のクリックをお願いします。
より多くの人に私の記事が伝わり、励みになります。