高齢者・彦市のブログ

しあわせの思い出-5 社内懸賞論文の話

私が30歳の頃、会社創立60周年を記念して、社内懸賞論文の募集が発表されました。
当時は、技術部の若手同僚5名で「朝の勉強会」を行っていました。
そこで、懸賞論文を作成することが決まり、手分けして調査したり、討議して3ヶ月で作成できました。

 

会社創立は明治43年で、ドイツから「酸素製造装置」一式を輸入して、溶接用の高純度酸素ガスを製造しました。
私が入社した当時は、全国に20ケ所程の工場があって、本社は銀座5丁目にありました。
造船業や製鉄業の発達に合わせて、酸素会社も規模を急拡大しつつありました。
製鉄所の構内に、合弁会社のオンサイトプラントを建設して、プラントの自社製作と運転要員の派遣を引き受けていました。
この頃は、日本企業は高度成長真っ盛りで、アメリカ合衆国の自動車産業をモデルとしていました。

 

論文は「日本酸素の将来」と題して、5年先、10年先の会社発展をシナリオ風に表現したい作文でした。
従業員の立場から、会社発展の期待を込めた未来予測でした。


幸いにも第1席入選となり、副賞が10万円でした。
このお金で、伊豆半島一周のドライブ旅行を楽しみ、残額を書籍代としました。

私の習作です。

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