高齢者・彦市のブログ

しあわせの思い出-9 会社整理の話

ミドリ防災有限会社」を設立したのが1974年(昭和49年)9月でした。
そして、会社整理したのが、1987年(昭和62年)3月ですから、12年6ヶ月の操業でした。

経営不振とか後継者不足などの理由ではなくて、私の業務転換計画に対して、従業員からブーイングを受けての事業閉鎖でした。

消防用設備の業務」で12年間を費やして、名古屋市の中心部にある複合施設から愛知県内の大規模工場まで、手広く保守業務を展開していましたが、下請け業務が80%でしたから、人件費の上昇により、利益を圧迫していました。
そこで、「駐車場設備」部門を強化すべく、社長自ら大規模駐車場の自動計算システムや無人化パーキング装置の保守を担当していました。
オンコール(故障時の呼び出し)に対する対応で、深夜まで長引くことがしばしば発生して、体力的にダウン寸前でした。
しかし、技術習得の見通しも立ったので、余裕を持って2階建ての事務所を新設しました。
将来性が見込まれる「コインパーキング設備」の方へ業務の主力を移したいと提案したのでした。

慣れた仕事から離れたくない」という従業員の気持ちは理解できました。

しかし、新規に社員を募集するほどのメリットはありませんでした。

また、業界では手抜き作業が常態化する傾向にありました。
私は、手抜き作業までして、従業員の生活を守る気持ちにはなれませんでした。


団結して、従来業務に固執されたので、対抗手段として会社整理を提案したのでした。
そして、従業員たちで業務を続ける意向があれば、設備その他一式を貸与すると提案しました。
年間の作業量の予定も埋まる状態でしたし、メーカーの下請け業務でしたから、経営は容易であろうと推察していました。
検討する為の猶予時間をを与えたのですが、結果は交渉決裂でした。
社長になる人が出なかったのです。
私が、危険作業と困難な仕事を引き受けてきましたので、その実態を知っていたからでしょう。

 

会社は、設立時よりも閉鎖時の方が大変でした。
設立時は、不安はあっても、夢を抱いて頑張れますが、閉鎖時は、如何にしてトラブルを避けて平穏に終了するか、の難しさがあります。
業務の引継ぎ、従業員の再就職、売掛金の回収など重要な課題もありました。
1月末日に決断して、3月末日で閉鎖しましたから、2か月間は従前通りの業務をしながら、関係する取引先や銀行との折衝をしました。
努力の結果、トラブルなく会社整理が完了しました。
その後の3ヶ月間ほどは残部整理が続きましたが、妻と一緒に、自宅⇒北陸⇒東北⇒北海道⇒名古屋港のコースで12日間のマイカー旅行をしました。

私の習作です。

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